学芸員だより(第18号)曲がりくねった道のさきに -前船場と後船場-

更新日:2026年06月10日

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曲がりくねった道のさきに  -前船場と後船場-

2026年6月10日

東海村大字船場は、東海村西部にある地区です。江戸時代には、船場村という一つの村でした。昨年度、新たに指定文化財となった「常州那賀郡船場村御検地帳」は、およそ400年前に作成された検地帳(田んぼや畑の広さや等級、持主を記したもの)です。400年前の村の様子を伝える貴重な史料です。小字の名前と地目(田・畑・屋敷)や面積・石高から船場村の特徴がうかがえます。

写真1船場地図

今回注目したいことは、「前船場」・「後船場」という言葉です。現在、船場地区に居住の方々にとってなじみの深いこの二つの言葉について、「かえで通り(船場寺堀線)」を境にして南側を「前船場」、北側を「後船場」と呼んでいます。

“昔から・伝統的に”、前船場・後船場は地元で呼ばれていて、行政区分などではなく地域に根差していました。よって、この境界設定は、あたかも東海村ができる前の“昔から”のように認識している方も少なくありません。しかし、乾康代氏の研究に下記のようにあります。

「1980年には、西部地域(小字=遠間)でも大きく切り拓かれ、笠松運動公園が開設された。また、 この時期までに、主要地方道と連絡して集落を横断する2本の都市計画道路の建設が進んだ。この うち北側の船場寺掘線は、栄畑の南端を横断したことから、同道路以南は旧集落を指して「前船場」、 以北は戦後の開拓地を指して「後船場」とする呼称が定着した。」

船場地区では、戦後まもなくに北部が開拓され、新たな住民や分家の人々が移り住むようになりました。新しい人たちの集落と旧集落の地理的な分け方として、かえで通りが境界となり、「前船場」「後船場」と呼ばれるようになりました。

 

話題を400年前に戻すと、検地帳にも小字名に対応して「前船場」という記載があります。この小字名を列挙すると、「道下、石幸、徳用、西田、西妻、中曽根、庚塚」です。前船場と検地帳で書かれていない場所を後船場と名付けるならば、後船場の小字は「新毛、いけ下、宮前、台、曽利畠、新田前、横谷津、深田、後田」です。下図は明治時代の小字が記入された地図に400年前の検地帳の小字を合わせたものです。ここからわかることは、「前船場」・「後船場」は南北でなく、東西で分かれているということで、クランクする旧道(水色の線)がその境界といえそうです。

写真2小字を入れ込んだ地図

現代人にとって、道といえば自動車道路であり、クランクした道は危険性が高い道路になります。しかし、東海村の長い歴史(学芸員だより第9号:東海村1100万年前の地層)の目で見れば、地理的な特徴をふまえた旧道を歩くことは“伝統的”だと言えましょう。“伝統的”と思われていた南北で分ける「前船場・後船場」は実は最近のものであり、江戸時代から1980年代ころまでは、東西に分ける「前船場・後船場」が続いていました。こちらこそ「伝統」といえるのではないでしょうか。

写真3旧道クランク部分

旧道クランク部分を北西から南東に向かって撮影

 

このように「伝統」は、しばしば認識されているよりも、新しい時代の創出されるものです。人文科学の分野では、

  • 近代になってできた国民国家があたかも悠久の昔からあったもののように生み出されていく過程
  • 公家が千年近くものあいだ家職(その家が専門とする楽器や和歌、陰陽道、書道などを指す)を継いできたかのような由緒を語りながら、何百年も中断期間があるといった場合
  • 茨城県に世界初の信用組合があったという言説は、根拠に乏しい言説によって戦時中からはじまり、戦後自治体史に掲載されることで、つい最近まで流布していた

などの事例があります。身近なもので言えば、江戸時代よりも前からありそうな洗濯板は、明治時代に外国から輸入されたものですし、“日本の心を歌う”演歌は、定義によっては高度経済成長期から広まった最近の文化です。

元文化財保護審議会会長の萩谷信輝氏は、東海村という名前の由来となった藤田東湖の漢詩・思想や合併前を含めた歴史から、「先取性・先進性」を村の特徴に挙げています。

皆さまにとって東海村の伝統とは何でしょうか。

(髙増 慧)

 

参考文献

  • 小泉喜働家文書
  • 乾 康代・片岡恵美子「都市近郊農村における集落空間の変容と居住域の展開 ―茨城県東海村船場区を対象として―」(『茨城大学教育学部紀要(人文・社会科学、芸術)』56号、2007年)
  • 西村慎太郎『宮中のシェフ、鶴をさばく 江戸時代の朝廷と庖丁道 』(吉川弘文館、2012年)
  • ベネディクト・アンダーソン『定本想像の共同体』(白石隆・白石さや訳、書籍工房早山、2007年)
  • 高増慧「「信用組合のもとは下館信友講」という言説」(『茨城史林』第46号、2022年)
  • 東海村公式チャンネル「東海村発足70周年記念式典」(http://yhttps//www.youtube.com/watch?v=10pseHWVER4、56分~57分頃)

 

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