学芸員だより(第22号)組合立東海中学校建設への想い-石神村のある青年の日記から-
組合立東海中学校建設への想い-石神村のある青年の日記から-
2026年10月10日

先日まで開催していました企画展「さきがけ -藤田東湖と東海村-」では、藤田東湖の漢詩『正気歌』の一節「卓立東海濱」が石神村と村松村の組合立東海中学校の由来となったこと、そして東海中学校という名前から合併して東海村の由来となったことを紹介しました。
さて昨年村内の方から、歴史資料をお借りし、写真撮影と調査を行いました。旧石神村の家に伝わる全622点の歴史資料でした。内容は昭和10~20年代の税金関係書類、戦前の教科書が中心でした。
今回取り上げる資料は、この家の方が書いていた昭和20年代の日記や帳簿です。農業を営んでいたため、農作業や作物の売買について書かれる日が多い日記でした。このなかで、昭和22年・昭和23年頃の日記や帳簿には東海中学校に関する記述がみられます。
この日記や帳簿から東海中学校に関わる記述を下表にまとめました。組合立東海中学校の設立が決まると、すぐに寄付金や奉仕作業が始まっています。旧石神村で農業の営む日記の記述者とその家族も奉仕作業や寄付金が頻繁にみられることから、地域の人たちの手で作られた中学校であることが分かります。部材は前渡飛行場から払下げて持ってきたもので、校庭も整備されました。開校間もないころは、校庭に石ころがたくさんあったと言われいます。日記の記述からも、第1期工事完成に伴う東海中学校への移転後も地ならし等の奉仕作業が行われていたことが分かります。

個人的に目を引く記述は、「学校宝くじ」です。学校建設のために発行された宝くじと考えられ、昭和22年11月11日に30円分購入したことが分かります。日本各地で昭和22年に義務教育6・3制(小学校6年、中学校3年)導入に伴い資金を獲得するため、学校宝くじが発行されました。
当時の宝くじに関する法律は、現行の「当せん金付証票法」(昭和23年7月公布)ではなく、「臨時資金調整法」(昭和12年9月公布)でした。臨時資金調整法は、日中戦争へ資金を充てるための法律でした。戦時中には「勝札」や「福券」と呼ばれました。戦後、戦争ではなく地方自治体の復興費用にも宝くじの発行ができるようになり、東海中学校の学校宝くじを可能となりました。
江戸時代に寺院再建・修理のために発行された富くじ、地域の子どものための学校宝くじ、収益の約4割が公益事業に還元される現在の宝くじ、時代とともに法制度や還元方法を変えながら、娯楽とともに社会貢献をしてきました。
戦後間もない時代に、先人たちがあらゆる方法で作り上げた東海中学校。次世代を担う卒業生の活躍を祈念して居ります。
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更新日:2026年10月14日