学芸員だより(第19号)東海村の海と砂防林
東海村の海と砂防林
2026年7月10日
学芸員だよりをご覧の皆さま、こんにちは!歴史と未来の交流館で自然分野の学芸員をしております、「シェリー」こと伊理と申します。
すっかり夏になりましたが、皆さんは夏といえば何を思い浮かべますか?私は夏といえば「海」の思い出がたくさんあり、夏になると海へ行きたい衝動に駆られます。
というわけで、今回の学芸員だよりでは、東海村と「海」のかかわり、そして、かかわりの深い「砂防林」についてご紹介します。
東海村の東側には、豊岡海岸、村松海岸、照沼海岸と3つの砂浜があり、その先には広大な太平洋が広がっています。いずれも波が高く、海流の強い場所もあるので、海水浴など海に入ることはできません。しかし、この環境が東海村の海辺の景観に一役買っているのです。
東海村からひたちなか市にかけての海岸沿いは、実は国内でも有数の砂丘地帯です。砂防林の植林事業があったため、砂丘があることを実感することは少ないですが、例えば、国道245号線を走っていると、土壌が砂の山になっているところをよく見かけます。
この砂丘は、東海村沿岸の海の波の強さによって海岸に打ち寄せられ、さらに海から吹き付ける卓越風によって内陸へ砂が吹き寄せられることによってできています。
土砂は、その粒の大きさによって、小さいものから泥、砂、れきと大きく分類されますが、実は、砂を運ぶのには泥や礫を運ぶのよりも強い水流が必要です。これはユールストロームの実験によって明らかになっており、ユールストローム図という名前で地学の教科書にも載っています。
東海村の海の波の威力を高めて、内陸に砂を吹き寄せているのが卓越風です。東海村やひたちなか市の海沿いは特に風速が強く、歩いていると砂がビシバシ顔に当たって痛い!と驚いてしまうほど。卓越風が海の上を吹くと、風と波との間に摩擦が生じて、波を風が引っ張るようにしているため、波もより強くなっていると考えられます。このように、波と風が相互に作用を及ぼし合うことで、大きな砂丘が形成されます。
さて、この大きな砂丘ですが、かつてここで砂に埋まってしまった大きなムラがあることをご存じですか?『昔々、千日もの間大風が吹き続け、海辺のムラが砂に飲み込まれてしまった・・・』と語られる千々乱風伝説は、歴史と未来の交流館でもご紹介しています。2003年には、実際に砂丘地帯の下から大きな製塩のムラの遺跡が発掘され、伝説は本当だったことが明らかになりました。また、1623年には、「村が砂で埋まってしまって生活ができないので集落を移転したい」という趣旨の嘆願状が出され、今も残っています。
過去の歴史を紐解くと、砂の被害にとても悩まされてきた村であることが分かりますが、今東海村に住んでいる私たちは、砂の被害を受けていないように感じます。それはどうしてなのでしょう?
その理由が、大正時代に行われたクロマツの植林による砂防林建設事業です。東海村の海沿いが砂防林建設の試験地に選ばれ、大規模な砂防林が建設されました。この砂防林がどのくらいの砂を防いでいるか調べた研究によると、なんと99%以上もの砂をここで食い止めているそうです!(萩野ほか、2007)
八間道路から海の方を見た写真。道路両脇にもクロマツの砂防林が広がっている。
こうして今出来上がった光景が、「小高い砂丘の上にクロマツ林が延び、その先に海がある」という景観なのです。
現在は海へ行く道路が限られていますが、村松地区にある虚空蔵尊や村松大神宮から海へ延びる八間道路を歩いて海に行くと、東海村の海の力強さ、砂丘の広大さと、その上に人が築き上げてきた歴史を体感することができますよ。
参考文献
- 萩野裕章、野口宏典、坂本知己(2007)『茨城県村松海岸林に落下した飛砂量の減少過程』日本森林学会誌、89(4)、p.288~291
「学芸員だより」について
歴史と未来の交流館には、学芸員が常駐しており、調査や研究を日々行っています。
そんな学芸員から、知ったら誰かに話したくなる東海村に関する情報について、コラム形式で掲載しています!
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〒319-1112 茨城県那珂郡東海村村松768番地38(歴史と未来の交流館)
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更新日:2026年07月10日