学芸員だより(第13号)チームを軌道にのせる男―根本陸夫―
チームを軌道にのせる男―根本陸夫―
2025年1月9日
東海村の有名人。ある世代の人たちにとっては根本陸夫さんを思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。そして、プロ野球選手というよりも、球団のGMや監督のイメージが強いのではないでしょうか。
根本陸夫と村内関係者
令和5年度夏季企画展「村を走った幻の小さな鉄道―村松軌道―」を開催しました。その村松軌道をつくった中心人物に根本秀之介さんがいます。現在の東海駅西口のすぐ近くで運送会社や旅客運送会社(村松山自動車株式会社、村松軌道株式会社)を営んでいました。この企画展がきっかけとなり、根本家に残された歴史資料の調査が始まりました。数多くの貴重な資料のなかでも、ひと際目を引くお手紙がありました。
今回はこちらを紹介します。
根本陸夫さんは、根本秀之介さんの孫で、根本時之介元村長の子どもです。大正15年(1926)に生まれ、昭和27年(1952)にプロ野球選手になりました。現役時代は六年間、そのうち昭和三十年と三十一年は出場がありませんでした。この二年間はプロ経験のない監督をサポートしていたと言われています。
今回発見されたお手紙は、昭和三十年一月、二か月後に村松村と合併する石神村に住む実家の母親へ宛てて書かれたものです。
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例年なく暖かい今日このごろです お手紙有難うございました お父様 お母様 朝子もお元気の 様で何よりと喜んでおります その後すこしご無沙汰してしまって いることご心配かけましたこと お詫び致します 今年こそ何どんな事があっても 帰るつもりで張切っておりましたが 実は私今年から現役を退き二軍の 若い人達の指導を命ぜられ 皆んながシーズンオフでのんびりしてる間も 監督と共に若い人達と一緒に練習、何んとか この間は上達させたいと頑張っておりました 練習が終ってホッとする間も無く スカウトを仰せつかり東に西に 北に南に出張致しお正月も 満足に落つけない有様 のんびり出来る筈のシーズンオフもシーズン中 の何倍かの労働でした 新く練習が始るまでに何ならずかの日数でも みつけてお母様の許にかへるつもりだったの に走り廻っているうちに本日練習も はじまり又一年かへれないと がっかりしていたところでした 今年は一軍の遠征には参加せず (宮崎での冬期練習以外は)ずっと家に いますので暖かくなったら 朝子と一緒にこちらへ出掛けて下さい たのしみに待っております 呉々も御身に気をつけて下さい お父様 朝子にもよろしく 陸夫 一月二十九日 御母様 |
監督のサポートをしていたという内実は、二軍選手の指導・練習、スカウトとして正月返上で働いていたというものでした。GMや監督として、工藤公康や石毛宏典らの選手獲得に手腕を発揮し、低迷していたチームを1980年代のライオンズ黄金期へと導きました。そのキャリアは、29歳という若い年齢にして、すでにスタートを切っていたのです。
東海村が発足した70年前、東海村に縁深い一人の青年に大きな変化がありました。
(髙増 慧)
NPBの1軍出場成績とMLBの出場成績
参考文献
- 髙橋安幸『暗躍の球史 根本陸夫が動いた時代』集英社(2024)
- 週刊ベースボールONLINE - 野球選手データ | 根本陸夫
【冬季企画展】根本陸夫展 -生誕100年 東海村の郷土の偉人-
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更新日:2026年01月09日