学芸員だより(第7号)今夏大公開!「よみがえる石神の埴輪」
今夏大公開!「よみがえる石神の埴輪」
2025年7月10日
今から17年前、東海村北部の石神外宿で実施された下水道工事中に美しい姿の人物埴輪が発見されました(写真1)。この埴輪は古墳の周りにめぐる溝の底から出土し、それまで未確認だった「戸ノ内古墳」発見のきっかけとなりました。埴輪出土地の南側には願船寺が接し、本寺の墓地がある高まりは古墳(墳丘)の一部と考えられます(写真2)。しかし、墳丘の大半は残っていないため、造られた当時の形や大きさは今のところ不明です。

(写真1)三角巾形冠をかぶる男子

(写真2)戸ノ内古墳の墳丘残存部
戸ノ内古墳の人物埴輪は、県内外の専門家からの注目を集めました。令和2年2月実施の講演会「埴輪が語る古墳時代の東海村」では、戸ノ内古墳の人物埴輪が初公開され、その存在が世間に広く知られることとなりました。発見された埴輪の特徴を見ると、戸ノ内古墳は古墳時代後期(6世紀中頃・約1,500年前)に造られた古墳と考えられます。今日までに村内古墳からは、多くの埴輪が見つかっていますが、その中でも戸ノ内古墳の埴輪は東海村を代表する埴輪となり、令和4年8月に人物埴輪2体が村指定文化財に指定されました。
県内屈指の美しい埴輪をもつ古墳として一躍有名となった戸ノ内古墳ですが、実は令和3年6月と令和5年2月に、謎のままであった古墳の範囲(形・大きさ)を解明するための発掘調査が行われました。調査の結果、墳丘と推測する高まりの北側では古墳の周溝が確認され、溝内から埴輪がまとまって発見されました(写真3・4)。埴輪の種類には円筒埴輪と形象埴輪(人・家・馬)がありました。破片の状態で出土した埴輪の中には、本来の形に復元されたものもあり、三角巾形冠をかぶる男子やひざまずく男子、両手をあげる女子、扉が開く寄棟造りの家など、色々な姿の形象埴輪があることが分かりました。

(写真3)令和3年6月埴輪発見の様子

(写真4)令和5年2月埴輪発見の様子
精巧な作りの埴輪の存在が際立つ一方で、埴輪の発見状況にも興味深い点がありました。埴輪は全て周溝内から出土していますが、種類別に見ると、円筒埴輪の多くは墳丘に近い場所に、逆に形象埴輪は墳丘から離れた場所にまとまって出土しました。つまり、古墳築造時には円筒埴輪が主に墳丘側に、形象埴輪が周溝の外側に並んでいた可能性があり、今回の発見状況はそれぞれの側に並んだ埴輪が溝内に落ち込んだ状態であると推測することができます。とくに形象埴輪の発見状況は、もしかすると周溝の外側に色々な形象埴輪を並べた特定の場所があったことを示しているのかもしれません。古墳の形や大きさなど、今後解明すべき課題は多いですが、戸ノ内古墳の埴輪は6世紀中頃の形象埴輪群の内容や並べ方を考える上で重要な資料となりました。
ところで、当館では東海村発足70周年を記念した特別企画展「―東海村から届いた招待状― 時間旅行(タイムトラベル)へようこそ!」を令和7年7月19日(土曜日)から令和8年2月23日(月・祝)まで開催します。本展示では、東海村が誇る太古から現代までの貴重な資料を多数展示し、その中で「戸ノ内古墳の形象埴輪群(初公開含む11点)」も公開します。
現在は、展示公開に向けて準備作業を進めていますので、乞うご期待ください(写真5・6)。
(中泉 雄太)

(写真5)展示準備の様子(展示台作り)

(写真6)展示準備の様子(パネル設置作業)
【7/13~R8.2/23】特別企画展「時間旅行へようこそ-東海村から届いた招待状-」
参考
- 稲村 繁 2019「戸ノ内古墳出土の埴輪について」『戸ノ内遺跡・戸ノ内古墳発掘調査報告書』,東海村教育委員会。
- 中泉 雄太 2022『令和4年度冬季企画展 東海村の人物はにわ図鑑』,東海村歴史と未来の交流館。
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更新日:2025年07月10日