学芸員だより(第2号)縄文人と村松海岸の宝石「黒瑪瑙(クロメノウ)」

更新日:2025年02月09日

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縄文人と村松海岸の宝石「黒瑪瑙(クロメノウ)」

2025年2月9日

  私は普段、東海村の遺跡の発掘調査や土器などの出土品の整理・研究を行っています。とくに、数ある出土品の中でも岩石(鉱物)から作られた「石器」・「石製品」に関心があるため、これらの石材に使われた石の種類や故郷(産地)について調べています。

  石器・石製品には様々な種類の石が利用されていますが、その中に宝石のようにキレイな見た目の「メノウ」があります。村内遺跡からは、メノウ製の石鏃(せきぞく)や勾玉(まがたま)、火打ち石などが発見されています。では、これらの出土品に使われたメノウはどの地域で入手されたものなのでしょうか。私は、メノウの故郷の謎を探るため令和4年度から茨城県内のメノウ調査を始めました。

  県内のメノウ産地は、県北部の奥久慈地域や玉川流域、ひたちなか市の海岸地域が知られています。メノウは玉髄(ぎょくずい)の仲間で、石英の小さな結晶が集まってできた鉱物です。一般的には、しま模様のある玉髄をメノウと呼んでいます。色は白色系、赤色系、黒色系など様々ですが、黒色系のメノウ(以下「黒メノウ」)は海岸地域にのみ見られます。海岸のメノウは、何度も波に揉まれて石の角が削れたため、山や川のメノウと比べて丸い形のものが多いことが特徴の一つです。こうしたメノウの色や形は、出土品に利用されたメノウの故郷を考える上で重要なポイントになると考えています。

  ところで、石材に選ばれた石は、どのような石でも良いというわけではありませんでした。大昔の人々は、使用目的に適した石を選んで道具としています。メノウの場合は、ナイフのように鋭く割れるという特徴や美しい見た目が重要であり、縄文時代には動物を狩るための石鏃などに、古墳時代には有力者が身につけた勾玉などのアクセサリーに利用されました。

御所内貝塚出土の黒メノウ製石鏃

御所内貝塚出土の黒メノウ製石鏃

御所内貝塚の現在の様子

御所内貝塚の現在の様子

 

  実は、東海村の村松海岸においても黒色や白色、赤色のメノウを採取することができます。村松地区の押延十字路付近に位置する御所内貝塚からは、縄文時代の黒メノウ製石鏃が出土しています。当時の海岸線は現在よりも内陸側に存在した可能性がありますが、黒メノウの入手地は海岸地域に限定されるため、もしかしたら東海村の縄文人は村松海岸のように身近な海岸で拾ったメノウで石器を作っていたのかもしれません。

村松海岸のメノウ

村松海岸のメノウ

村松海岸の様子

村松海岸の様子

 

  余談ですが、私も縄文人と同じで「石拾い」に夢中です。休日には県内の海岸や河原を訪れて、朝から晩までメノウを探し回っています。現地には数え切れないほど多くの石が転がっていますが、足元をじっくりと観察しながら長時間歩き続けた末に発見したメノウは宝物です。

  是非、皆さんも村松海岸の宝石「黒メノウ」を探してみてはいかがでしょうか。

(中泉 雄太)

参考

  • 中泉雄太 2023「縄文人が選んだ石、瑪瑙。Episode1」『まる博ジャーナル』,Vol.3,東海村教育委員会。
  • 中泉雄太・林恵子・菊池芳文 2024「東海村内出土瑪瑙製品の産地解明に関する研究(1)―久慈川水系瑪瑙の様相について―」『東海村歴史と未来の交流館研究紀要』,vol.4,東海村教育委員会。

 

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